無縁ではなかったJR福知山線脱線事故から12年

先頭車両には高校時代の同級生が乗っていた。
後方車両には親戚が乗っていた。激しい転倒による後遺症が今も残っている。

あの事故で気がついたことが2つある。
1つは運転手が「運行予定を守らなければならない」という過剰なプレッシャ−にさらされていたこと。
事故の要因は複数が絡み合ったものだが、この点は大きかっただろう。最近の東電の原発事故やヤマト運輸の実態報道にも通じるが、私達が当たり前だと思って利用しているサービスが、実は誰かの犠牲や高いリスクの上に成り立っていることが次々に明らかになっている。我々はそのことを認識して、システムを大きく改めるべき時にきているのではないか。

もう1つは企業責任を問えないという矛盾だ。結局事故のあとJR西の歴代社長は責任を問われることはなかった。では誰に責任の所在があるのか。現在の法の仕組みでは企業責任が問えない。これでは遺族はやりきれない。これでは企業は「再発防止に努めます」とだけ言っていれば済むことになってしまう。企業責任による大きな賠償リスクがないと、企業がリスクヘッジする動機が働かないのではないだろうか。

「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。」(ルカ12・2-3)
様々な不備が明らかになったら、後は改めるだけだ。


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