時の速さには驚くしかない。
震災を生き延びた近所のおばあちゃんも先日お亡くなりになった。
あの時の家族で残っているのは半分くらいだが
結婚して子供もできてプラマイゼロかな。
人間は忘れるようにできているけれど
深いところでは記憶しているようだ。
メモリーとハードディスクのように。
震災はそれぞれの個人のメモリーからはどんどん上書きされて消えつつあるけれど
神戸人として、いやそれより大きな人間の集団としては
深いところの記憶に残していくべきだと思う。
仕事で買ったポータブルバッテリーが震災の備えにもなるな、と気づいた。
朝から震災の記憶に触れるラジオDJの語りと音楽にしばし聞き入った。
神戸から離れて家族とも離れて震災のことを話せる人が周りに少なくなってしまったが
ラジオのリスナーのたよりを聞いていると、どこかでつながっているような気もした。
こういう日は字面を追うより、音声メディアの暖かさがうれしい。
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