life is like a bike

3月に亡くなった祖母の納骨のため、家族で大分へ向かった。
祖母は生前に祖父と一緒に墓を作っていたのだ。
祖父の元にお連れするのは我々の務め。

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身内が船長をしていることもあって、久しぶりにこの船に乗った。
寝ている間に車ごと運んでくれるのはありがたいが、正直言ってバイキング形式のレストランは魅力が乏しく、寝室は横になれるものの、エンジン音と振動が大きくて熟睡できなかった。世界を見渡すと、大型船舶の燃料は従来の重油から環境負荷の低いLNGへと移行しつつあるらしい。LCCが普及し鉄道の高速化が進む中で、従来型の長距離フェリーはいつまで存続するのだろうか。
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快晴のもと納骨式と、実家で預かっていた親族たちの霊璽(読み=れいじ。仏教で言う位牌)を収める式を無事に執り行った。私の九州在学中に、生前の祖父と祖母をここへ連れてきたこと。祖父が亡くなった時にここへ来たことを思い出した。山の緑の色はずっと変わらないが、時はずっと流れ続けている。

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式後、親族が司る神社に参拝した。祖父が寄贈した石柱があった。この地域に住む最長老の親族は鉄の馬の像を寄贈していた。あの世代の人たちはそうやってモノと名前を残していくのだろう。この数年、祖母にはお正月にそれなりの額のお年玉をあげていたが、何に使っていたのだろう。我が死ぬときは何が残るのだろうか。

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参拝の後は、海端のいつもの料亭で皆で食事をした。学生時代にここに来た時は、大勢の親族が迎えてくれたが、今回は高齢や病気や何やで主だった長老お二人だけだった。街並みは一見この十数年変わっていないように見えるが、商店街はさびれ、人家も高齢化のために空き家が増えているらしい。この集落はこの先十数年後も存続しているのだろうか。

神主の親族も、現地と我々をつないでくれる関西の親族も高齢化しているので、このまま順に人が亡くなっていけば、つながりが失われてしまうことが懸念された。食事をしながら話したところでは、神主の職は、現在身内の若者が継ぐべく準備をしているとのこと。遠い親戚なので未だ見ぬ人であるが、少なくとも私が生きている間は祖父母の墓参りができるよう、関係性を保っていけたらと思う。

3月からは介護、葬儀、後片付けと慌ただしかったが、この納骨で本当の意味で一段落、区切りがついたという気がした。


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