嫁さんのお祖母様はご高齢なこともあって、
昨年の結婚式でお会い出来ず気にかかっていた。
いつかご挨拶に伺おうと思って、いつの間にか
時間が経ってしまっていた。
それが昨年末から肺炎を患われ、今年に入って
腕を骨折されて、状態が悪いとのことだったので
病院にご挨拶を兼ねてお見舞いに行ってきた。
お祖母様は普段はお友達の方たちと歌を歌われたりして
とても元気だったそうなのだが、入院されてから、
人が変わったかのように元気がなく、状況が非常に厳しい
というような話を家族から聞いていたので心配していた。
薄暗い病室に入り、ベッドに近づくと酸素チューブを
鼻につけて眠られている姿が目に入った。
嫁さんの家族が話しかけると、お祖母様はゆっくりと目を開いた。
最初はぼんやりとされていたが、私が自己紹介をして、
家族が説明を付け加えると、お祖母様はとてもうれしそうに
「ええわなあ。きれいな顔したお婿さんや。」
と言ってくださった。頬に手をあてると、にっこりと微笑んで下さった。
その後はアイスを少しずつ口にしたり、歌を歌ったりして
元気な様子を見せてくださったので安心した。
嫁さんのお母様も「前回来た時と全然違う」というほどだった。
人間は外界からの刺激が無くなると、機能が低下していくそうだ。
それは精神的な面でも、肉体的な面においても。
高齢者が骨折をして肉体的自由が損なわれ、入院してしまうと
外界からの刺激も肉体的な刺激も極端に少なくなってしまい
一気に痴呆と老化が進んでしまうらしい。
今回は私がお見舞いすることがお祖母様にとって、とても
よい刺激になったようだ。
また機会を作ってお祖母様に会いに行こうと思う。
今回は私にとっても刺激になることがいくつかあった。
嫁さんの家族は皆医療従事者なので、お祖母様の状況を見て
専門的見地から意見を交わしたり、判断を下してたりしていた。
食事の食べさせ方や、飲み込み方からの判断一つをとっても
なるほど、そうなのかと思うところがあった。
先に述べた外界からの刺激、という側面からも、このまま
入院を続けるかどうかの判断になった。
そうした判断の積み重ねが一人の人間の生活の質につながるのだ。
高度な専門知識の有用性を改めて実感した。
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